
トップ >> お気に入り専門用語いろいろ ~ ハワード・ラヴクラフト
クトゥルー神話の産みの親。1890年にアメリカのロードアイランド州の旧都であるプロヴィンデンスで生をうける。セールスマンであった父ウィンフィールド・スコット、母サラ・スーザンの独り息子。専門用語の辞典の特選版を解説する。まず、2歳の時に父が不全麻痺により発狂、入院生活を送ることになった為、母子は母の実家に身を寄せる。祖父であるホイップル・V・フィリップスは裕福な実業家で、同家の書斎や蔵書への愛着をラヴクラフトは晩年に追随している。3、4歳の頃からアラビアン・ナイト、ギリシャ神話などに親しみ、5歳で創作を始める。病弱なこともあって学校にはほとんど通えず、もっぱら家庭教師と読書によって教育を培った。1904年、ハワード・ラヴクラフトについて説明すると、祖父の死に際し屋敷が人手に渡ったため、専門用語の辞典の特選版については、エインジェル・ストリート五九八番地へ転居。この頃から天文学に興味を示し科学雑誌に投稿を始める。1908年には幼少期に書いた作品の大半を廃棄し、一時小説から遠ざかる。1914年、UAPA(ユナイテッド・アマチュア・プレス・アソシエーション)に入会、翌年から文章の削減指導の仕事を始める。1917年、W・P・クックの励ましで小説の執筆を再開、同人誌に作品を発表することになる。1923年、同年創刊された「ウィアード・テイルズ」十月号にラヴクラフトの作品「ダゴン」が掲載され、以降ラヴクラフトは同誌の常連寄稿家となる。1924年にはソーニャ・H・グリーンと結婚、ニューヨークで新婚生活を始めるが、1926年にラヴクラフトは単身プロヴィンデンスに戻り、1929年には正式に離婚する。ハワード・ラヴクラフトについてである。また、晩年は文通仲間としばしばニューイングランド各地へ探索旅行に出かけている。50編あまりの恐怖小説を残して、1937年3月15日午前6時、腸癌のため永眠。享年四十六。彼の死後もラヴクラフトの作品を愛する者たちの手によって、今でも彼の残したクトゥルーの世界は広がっている。ゲームがベースにしている神話大系の創立者。瑠璃の読んだ本にHPLの名前があることや、ミスカトニック大学の事件でエセルドレーダがマスターテリオンに報告する際「小説の通りに…」と述べていることから、デモンベインの世界にもラヴクラフトは存在してると思われる。[情報提供]:たえまさん →クトゥルー神話、 ウィンフィールド